行ってみたい場所、見てみたい風景、会ってみたい人、食べてみたい料理。指先一つでいくらでも情報が得られる時代に、誰かの案内のもと旅をする。言うならばそれは、「ページをめくるような旅」だと思う。ページをめくる度に新しいワクワクが見つかり、一人では辿り着かないであろうローカルなスポット、面白い人に出会える。最後のページを閉じたとき、そうした出会いの一つひとつが点と点ではなく面として、体系的に自分の中に残っている。
案内人の久保竜太郎さんと標津の漁師チーム・波心会(はっしんかい)を訪れた旅の終わりに残ったのは、そんな“読了感”ともいえるような感覚だった。
宝物だらけのこの場所で、最果てを最先端に。
久保竜太郎さんの経歴をわかりやすくまとめるのは、少し難しいかもしれない。生まれは大阪。北海道にある北見工業大学に進学し、分析化学を研究。その後は東京で某分析器メーカーの営業職(本社は京都)として働き、2019年に中標津へ移住。移住先が中標津だったのは、就職する前にヒッチハイクで日本一周の旅に出ていて、その前後で中標津の竹下牧場にお世話になったという縁からだ。

旅の始まり、参加者に行程を説明する久保さん
移住後も引き続き、竹下牧場で働くのだが、いわゆる“牧場の仕事”はほとんどしていない。コワーキングスペースmilkにファームヴィラtakuといった竹下牧場関連の施設の立ち上げ、それから中標津近郊の食材を使ったスープ事業の立ち上げなど、ゼロイチでの仕事に精力的に取り組んできた。2024年には独立し、株式会社しるべを設立。現在もコワーキングスペースmilkの運営に携わりながら、地域の人々、特に生産者の人々と深い関係を築いている。
今回伝えたいのは、案内人としての久保さんについてだ。しかし実際のところ、久保さんの本業はいわゆるガイド業とは少し異なる。働き方をたとえるならまちづくり会社のようなもので、本人が実現しようとしているのは「地域関係性資本」を生み出すこと。そして、その仕組みづくりだ。
「僕からすると、この地域って宝物だらけに見える。生産者をはじめ、地元の人たちの『生きる強さ』には尊敬しかありません。社会的にはIT=最先端というイメージがあるかもしれないし、ここは都市から大きく離れた最果ての土地。けれど、僕はここでの暮らしこそ最先端だと思っているんです。それこそ、東京より、シリコンバレーよりも。今、会社のビジョンに『最果てを最先端に』という言葉を掲げているくらい」。
心から尊敬する人たち、宝物だらけのまち、そこにある最先端の生き方・価値観。もっと面白い動きが生まれるはずだし、経済的な意味でもポテンシャルはある。足りないものがあるとすれば、人の流れや経済循環が回っていくための仕組み。「観光」は、その歯車になり得るというのが久保さんの考えだ。
特技は、ここに暮らしていること。「現場のリアル」を伝えたい。
久保さんが旅を通して伝えたいもの。それは、「現場のリアル」だ。
たとえば、標津で久保さんに案内してもらった波心会(はっしんかい)。現役漁師によって構成されている団体で、標津で獲れる魚介類の価値を取り戻すために活動している。久保さんと代表の林強徳さんとの縁は、スープ事業を立ち上げたときに素材の相談をしたのがきっかけ。久保さんは、林さんから聞いた海のリアル(魚の市場価格、国内消費量の低さなど)に衝撃を受け、価値を取り戻すための活動にも深く共感。「自分に手伝える部分はないだろうか」という思いで動き、関係性を築いてきた。

標津をはじめとする漁業の現状について話してくれる林さん
「林さんに教えてもらうまで、本当に知らなかったことばかりでした。適正価格に戻すこと、未利用魚を含めた6次産業化を進めること。わかりやすくキャッチーに取り組む姿勢がやっぱりかっこいいなと思うし、たくさんの人に知ってほしくて」。
前述したスープ事業の中で材料として使っているのが、波心会から仕入れたクリガニ。道東を中心に獲れるカニで、「味はほとんど毛ガニ。ただあまり量がとれないのと、とれても小ぶりで可食部が少ない」という理由で市場に出回る機会は少ないそう。クリガニの身と殻をすべてペーストにすることで、旨みたっぷりのポタージュが完成。このように、未利用魚といわれる魚介類にも目を向けて活用していくというのも、波心会、そして久保さんの取り組みの一つだ。

波心会では商品開発を行っており、ウェブサイトから購入することもできる
「僕の特技といえば、この地域に住んでいることしかないんですよ。そんな自分が地域の人たちのために何ができるかって考えたら、一生懸命関係性をつくること、暮らしているからこそのリアルを伝えること、その2つだと考えていて。地域を面白くするためのアイディアはいくつもあって、できるだけ実現していきたい。そのためには経済が必要だというところに行き着くんですよね」。
さまざまな取り組みを通して関係性を築き、魚捌き体験などの漁業者ならではの体験を提供してきたという2人。その表情からは、お互いへの信頼感が自然と伝わってくる。仮に一人で標津へ旅に来ていたとしたら、波心会の現場を訪れることはなかったし、「現場のリアル」に触れられることもなかった。久保さんは、自身の「特技」を最大限に活かせる人なのだ。
知識と知識の間を埋めるピースが、体験。
久保さんの旅づくりに関する話の中には、“ロジカルな熱量”が見え隠れする。
具体的に言えば、波心会と共に組み込まれているのがポー川自然史跡公園での散策。ここは、手つかずの自然や歴史、アイヌ文化のルーツや一万年続く人と鮭の関わりについても体感し、学べる場所だ。

ポー川史跡自然公園歴史民俗資料館
「魚を適切な価格で扱う=適切な漁獲量を保つということでもあって、その背景には北海道の人たちの自然観があるはずで。それを辿った先にあるのがアイヌ文化だと思うんです。大事なのは『昔はこうだったんだね』じゃなくて、現実に当てはめて考えてみること。アイヌの人たちは植物も魚も必要以上に獲り過ぎることはなかった。今はどうだろう、と立ち戻るようなきっかけになればという思いで組み立てました」。
北海道、こと道東については「何もない場所」と表現されるシーンが度々ある。それに対してはある意味開き直った感覚でいて、ネガティブな印象は抱いていなかったけれど、久保さんの言葉を聞いてはっとするものがあった。
「もし目の前のものに対して何もなくてつまらないって思うんだったら、一回勉強してみたほうが良いというか。そういう考え方があっても良いんじゃないかって思うんです。勉強っていうのは机に向かうことに限らず、自分から知ろうとする姿勢のことで。何か一つ知れたなら、そこから広がっていくものがあるはず。ここは、そういう土地だと思うから」。
つまるところそれは、自分事として捉えることなのだろう。「知識と知識の間を埋めるピースが、体験だと思うんです」。一つひとつを点で終わらせないための優しい裏付けが、久保さんの編み出す旅の中に、この土地にはある。すべてのピースが揃ったとき、得られるものがきっとある。
標津の旅を終えた今、一冊の本を読み終えてぱたんと閉じたときの、あの感覚が手元にある。ページをめくるごとに視野が開け、新しい風景や人との出会いにわくわくし、物語の伏線がきれいに回収された後の、読了感。この感覚へと導いてくれたのは、やはり久保さんのロジカルな熱量だ。住んでいるからこそ伝えられるリアル、知識と知識の間を優しく裏付けてくれる体験。地域の人を思い、最果ての可能性を信じているからこそ作り出せる旅を、ここ標津から。