これは地の果て“シリエトク”に根を張って生きる人々の物語だ。
旅の出会いは様々だが、肌感覚としてそれが中心から遠ければ遠いほど、突端であればあるほどユニークであると確信している。そんな場所で地元民と移住者が交じりあい風土を形成する仕組みは全く理解が追い付かないレベルの面白さがあり、そして再現性が全くないところにも魅力を感じる。知床羅臼で過ごした時間は、そんな人たちがこの地で織りなすストーリーの追体験であり、時代の変遷と文化の継承まで至る、知的好奇心が荒ぶる探検だった。
根室海峡沿岸 / ごろた浜トレッキング
脈々と連なる知床連山を眼前に望みながら、峯浜地区の海岸線を歩き始める。ガイドを務める寺山さん(元さん)によると、ここは知床半島相泊以降の場所と類似した地形が楽しめるとのことだ。
知床半島のトレッキングは一般的には難易度が高い冒険だ。相泊から知床岬までは最低でも二泊三日を要し、野営を基本とする上に数々の難所が待ち受ける。しかも全域がヒグマの生息域であるとともに、電波や交通なども脆弱である。ここ羅臼の子ども達は知床半島を踏破して心身ともに成長すると言うから驚きだが、基本的には一定の専門性とある種の覚悟を要する。
それに対し今回歩く峯浜地区から春刈古丹のフィールドは、道路から外れて一本海岸線に降りただけで人工物や生活音は遮られる。リリースポイントも豊富なため、安全性を確保しながら知床半島に似たトレッキングが楽しめるし、まだまだ人に知られていないので人影は全くない。タフな冒険に憧れながらも、まだまだ経験の足りない自分にはぴったりなフィールドと言えるだろう。
ごろごろとした大きな石が広がる浜を地元では“ごろた浜”と呼ぶと、元さんが教えてくれる。足首に負担がかかり体重移動にも一定の技術が必要なことから、体幹的なセンスが必要になるらしい。山登りやトレッキングに親しんでいる人でも、適性がないと疲労が溜まりやすく長くは歩けないと聞いた。
自分にはその適性があるだろうかと一抹の不安が残る。この魅力的な場所を踏破したい欲が50%、残る半分は虚勢かもしれない…と自覚しながら歩き続けていく。
荒々しく幾重にも積み重なった地層は遥か昔、縄文時代から現代に続く時代の流れを想起させる。オホーツク海や根室海峡沿岸の暮らしは厳しい自然環境との戦いであったはずだが、豊かな漁場であったこともまた間違いない。この地を拠点とした狩猟と採集の営みに想いを馳せ、黙々と歩みを進める。
自分が稀代の探検家になる妄想というのは、いついかなる時でも楽しいものだ。その地形がその風土が育んできたフィールドを歩き、五感をフル稼働して場に没入する。時に船が難破して辛くも生きながらえた設定でロールプレイを楽しみつつ、古代の遺跡を目指すのだ。
ごろた浜を踏破し、そろそろ足の疲労感を強く感じ始めたころ、数刻ぶりに人々の営みが姿を現した。
KOBUSTAY / 昆布漁師と共に過ごす時間
日本文化を知る上で欠かすことができない昆布の世界に、ここまで深く入り込むことはかつてあっただろうか。出汁と旨み(Dashi & Umami)という、日本の食卓に欠かすことのできない素材であるが、どれだけの人が生産現場を知っているだろうか。
そんなことを考えながら辿り着いた加瀬漁業が営むKOBUSTAYは、羅臼昆布の作業場に併設した一件宿で、根室海峡を挟んでそこに在る国後島を近く遠く肌身で感じることができる。
出迎えてくれた加瀬一家。案内してくれる理沙さんは羅臼昆布漁師の妻で、かつて知床羅臼町観光協会の事務局長を務め現在の羅臼観光の原型を切り拓いた才媛だ。温和な雰囲気の中にも変わりゆく羅臼の海を憂う確たる信念が、強く印象に残った。
招かれるがままに、この地で生産されている羅臼昆布をふんだんに使用した料理をいただくことに。
まずは和食の真髄である昆布出汁を飲んでみる。優しく風味豊かな出汁が鼻腔に届き、現代的な味付けに慣れきって乏しい味覚しか持ち合わせていない自分にもその味を理解することができた。この羅臼の土地を学び歩いて理解した経験のおかげかもしれない。
続いて知床の鮭を主役に据えた茶漬けをいただく。北海道産米に羅臼昆布を入れて炊き上げ、アイヌ伝統の保存食「干鮭(からざけ)」を乗せる。羅臼昆布の一番出汁をかけてかき込む茶漬けはシンプルでありながら芳醇で、さらさらっと口に入っていく。
日本人の祖と言われる縄文人は、この地で一万年も前から暮らしてきた。そしてその流れを汲むオホーツク人やアイヌ民族にもその文化は受け継がれている。先史の研究によると、彼らもまた昆布を煮沸して出汁をとり、鮭を貴重な栄養源としていたようだ。食事をいただきながら時の流れを遡るような、そんな素敵なひと時を過ごすことができた。
食事を終え、海辺のフィールドでしばしの休息をとる。押し寄せる思考の波に身を委ね、時に堰き止めて余白を生み出しながら、流れゆく時間を楽しむ。覚醒と微睡を行ったり来たりする感覚は格別で、心地よい疲労感によって意識を失うことに優る快楽は存在しないとすら感じる。
豊かな香りが漂う羅臼昆布の作業場では、熟練のクラフト職人たちが黙々と作業に没頭していた。羅臼昆布の漁期は7月下旬〜8月上旬と非常に短い。そのため時期によって作業内容は異なるが、出荷に至る様々な作業をこなすその姿は、ただただ格好が良い。
この日は昆布の“巻き”と“伸し”の工程を体験させてもらうことに。漁場によっては機械化が進んでいると言うが、加瀬漁業では伝統的な道具を使い手作業による生産を続けている。
木板に縄目を巻いた簡素なものだが、この道具には昆布に付着する余分な塩分をちょうど良い塩梅で取り除いてくれる効果があるらしい。時間をかけて手作業で生産しても商品価格には転嫁されないとのことだが、そんなこだわりに強くクラフトマンシップを感じる。古くから漁を生業としてきた職人の誇りと矜持が、口数の少ない背中から伝わってくるようだった。
とは言っても、自分の作業はなかなか思う通りには捗らない。見よう見まねで昆布を巻いていくも、隣で作業する若干15歳の熟練工の足元にも及ばないのだ。考えてみればそれは当たり前のこと。どんな仕事にも年齢など関係なく、ただただ積み上げてきた経験値の総量が技術として刻み込まれていくのだろう。
気の遠くなるほど手間をかける、羅臼昆布が羅臼昆布たる理由である23工程のごく一部を体験しながら、そんなことを考えるひと時だった。
羅臼町郷土資料館 / 文化の折衷と継承に触れる
旅も終盤に差しかかりネイチャーとカルチャーで心身を満たした頃、もう少しだけこの地を理解したいという好奇心が首をもたげてきた。訪れたのは羅臼町郷土資料館、旅をスタートした峯浜地区にある多くの出土品を展示している場所だ。
学芸員の天方さんから縄文時代からオホーツク文化、アイヌ文化の流れを説明いただくが、中でも興味を惹かれたのが「トビニタイ文化」だ。
9世紀ごろから13世紀ごろにかけて北海道の道東地域および国後島付近に存在した文化様式の名称で、1960年に東京大学の調査隊が羅臼町飛仁帯(とびにたい)で発見した出土物が名称の由来とのこと。北のオホーツク文化と南の擦文文化が接触して生まれた折衷的な文化が、ここ知床周辺で生まれそして姿を消していったことは感慨深い。
門外漢であるため学術的な話をする意図はないが、オホーツク文化の熊崇拝がトビニタイ文化を経由してアイヌ文化にもたらされたという説は非常に面白く、探求心をくすぐる。現代の食文化や産業にも、悠久の時を経て彼らの想いが生きていると考えるだけで、この旅で体験したトレッキングと昆布の生産が大きな価値を持ち、自分の中でさらにクリアに刻まれていくようだ。
旅の終わりに際して
これは地の果て“シリエトク”に根を張って生きる人々の物語だ。
冒頭で述べた言葉だが、これはなにも現代人に限った話ではない。遥か昔からこの地では多くの人たちが暮らし、文化をつくりあげてきた。現代の羅臼民が抱くヒグマやシャチなどカムイに対する畏敬の念も、海の未来を憂いていることも、その精神性は古来まで遡り、折衷と消滅を繰り返し時代に適合しながら現代に受け継がれてきた感性だと感じている。
地に根を張るとは、覚悟を持って生き抜いた結果、文化形成という結果論として次代に引き継がれることだ。そんな強い想いを理解し尊重し、力をもらいながら生きることこそが、現代の暮らしをより充足したものにしてくれるのだろう。