“まるで幼い頃に病床で読み耽った冒険小説の世界じゃないか…”
そんな第一印象を受けた太平洋を臨むトレイル“根室シーサイドウェイ”の旅は、北海道の道東ネイティブの自分にとっても特異であり、心踊る刺激に満ちている。太陽が燦々としていてもどこか哀愁を感じるのはどうしてなのか逡巡してみるも、具体的には言語化できない。海の色だったり空気の匂いだったり荒々しい断崖絶壁だったり、何か正体があるはずだとは思いながらも判然としない。
この旅路はそんな抽象的で美しい世界を、旅のパートナーであるネイチャーガイドOUTLANDの鈴木貴也さん(スーさん)と語り合いながら迫っていく時間になりそうだ。そしてこの豊かな根室の海をより深く理解するには、この地で漁業を営むローカルとの出会いが必要だ。日本最東端の物語に彩りを添えるのは、永く地域で暮らしてきた地元のお母ちゃんたちがふさわしい。
浜松パス / 嵐と静けさが共存するシーサイド
ロードサイドの拠点となる道の駅スワン44から始まる一日は、吹き荒ぶ風雨が出迎えてくれた。
少しテンションが下がり気味の一同、今日の見通しを図りかねてスーさんの顔色を伺っていると「いや〜今日は最高だねー!」という言葉とともに寺山さん(元さん)が颯爽と現れる。元さんは知床ウトロを拠点にBuen Camino!という屋号でガイドを営むヒグマに精通した生粋の山岳ガイドで、スーさんのガイド仲間の一人だ。
スーさんからも元さんからも、天候に不安を感じている様子は全く伝わってこない。常人なら諦めざるを得ない荒天に見えるけれど、彼らが大丈夫であればきっと大丈夫なのだろう。そうは言っても一抹の不安を拭い去れないまま、JR花咲線の落石駅から浜松パスを歩き始める旅の仲間たち。オフトレイルに入り、馬の放牧の様子を横目に歩き、マンパス(人間にしか通れないよう設計された通路)を越え、海岸沿いに出た瞬間に吹き荒れる突風。
油断すると身体ごと持っていかれそうになり、“今日はもう無理なんじゃないか?”と少し弱気になりながらスーさんを見ると、まるで凪のように平然と歩いている。ましてや元さんに目をやると、満面の笑顔で風に身を委ねながら全身で自然の猛威を楽しんでいるようにすら見える。
自分の弱気なんて風に吹き飛ばしてもらおう…と意を決して歩みを強めると、程なくして高低差のある谷間に辿り着いた。自然の成り立ちとは面白いもので、これだけでほとんど風を感じることはない。森の木々を拠り所にして休むエゾシカのようにしばし休憩をとり、仲間の体調とテンションをケアしてまた歩き始めるのだが、ここから一気に晴れ間が広がっていく。
「さぁ、ここからが浜松パスの核心部だよ」そう言ったスーさんの表情は、このタイミングで晴れ渡ることなんて最初から台本通りと言わんばかりの自信に溢れている。
対岸にそびえるユルリ・モユルリの島影は美しい。今は無人となった島に生きる野生化した馬たちの姿に、かつて人が暮らした痕跡を垣間見ることができる。
希少な海鳥たちが繁殖し、野生のラッコが悠然と漂う根室近海。荒々しさだけでなく豊かさが共存していることを、野生動物たちの暮らしを見て理解することができると改めて知った。(何せ、ラッコは自分の体重の3割ものウニやカニを一日で食べるのだ。豊かな海でなければ繁殖することはできない)
崖沿いの植生に目を向けると、木々が歪に枝を伸ばし、吹き荒ぶ風で露出した木の根は不気味にも感じる。地域性を知らずに見るとただただ不恰好なその姿も、厳しい環境に立ち向かい順応してきた結果だと知ることで愛着を覚えるから不思議なものだ。
シーサイドを歩くだけでどこまでこの地の風土を理解できるのだろうか?旅前に逡巡したことなど、浜松パスはただの杞憂だと立証してくれる。荒天でも好天でもその価値は一切揺らぐことはない。特別な場所は静かにそこにあり続けている。
霧娘 / 落石の暮らしと生業
浜松パスを終えた後は、海沿いのオントレイルを歩き落石漁港を目指していく。視線の先には忙しなく働く漁業者の姿と勇壮な漁船。その延長線上には午後から足を踏み入れる落石岬が目に飛び込んでくる。
続く冒険に大きな期待を感じつつも、旅には小休止が欠かせない。一行は地元漁師の奥さんたちが「霧娘(きりっこ)」として活動する拠点エトピリ館へ向かった。
出迎えてくれた小谷鈴子さんは、地元タコ漁師の奥さんで霧娘の代表。柔和な笑顔と優しい語り口が印象的で、一目会った瞬間から旅の想い出になることを確信するほど。
地元漁師が獲ったタコを豪勢に使った料理を振る舞ってくれる鈴子さん。メインのたこ飯弁当はJR花咲線でも大人気の駅弁で、注文が絶えないという。柔らかく煮付けたタコが優しい風味で、特別メニューのタコザンギ(ザンギは北海道で唐揚げを指す。諸説あり)とタコの刺身も箸が止まらない。そして中でも特別だと感じたのが氷下魚(こまい)のお汁物。豪華なタコ料理で満腹感を覚えていても、寒風吹き荒ぶウィルダネスを踏破した身体に氷下魚の汁は優しく染み渡っていく。
霧娘たちのもてなしを受け、心地よい疲労感の中で歓談していると、スーさんから「浜松パスは海霧に包まれて周囲が全く見えない時もあって、それもまた特別な世界なんだよ」と教えてもらった。
「それが霧娘の由来にもなっているんですね。でもこんなにも広大なフィールドで五里霧中なんて、少し怖くないですか?」
「確かにね。でも濃い霧と湿地帯、独特の木々が織りなす景色は、ロードオブザリングのような冒険心を呼び起こしてくれるんだよ」
「あぁ、それは確かに!何でしたっけ、あのホビットシャイアを出発してからフロドたち旅の仲間を執拗に追いかけてくる黒い死神みたいな…」
「ナズグル!」
幼い頃に冒険を夢見ていた自分にとっては、こんな些細な会話がとても楽しくて堪らない。もう少しだけ指輪を巡る冒険の話を続けたいところだったけれど、続く落石パスへ向かう準備を始めようか。
落石パス / 荒波とワイルドライフが躍動するシーサイド
「浜松パスが静のフィールドだとしたら、落石パスは動のフィールド。その相反する対比が面白いんだよ」
歩き始めると同時にスーさんが語り始める。互いが互いを望めるくらい隣接した場所でそんなにも違いがあるものなのだろうか? 落石灯台近くまで歩き、荒々しい断崖絶壁を目の当たりにした時、心地よい緊張感とともにスーさんの言葉が腑に落ちた。
太平洋の荒波が轟音とともに断崖絶壁を叩きつける様は、まさに動のフィールドそのもの。崖っぷちには日本の観光地に必ずあるような安全柵や注意喚起のメッセージは無く、自己責任を是とする欧米文化を彷彿とさせる。ワンアウト・ツーアウトでも大丈夫な距離(2回連続で転倒しても落ちない安全圏)までしか近づかないようにと念押しされるほどに、陸と海のフィールドがワイルドなのだ。
そんな中、押し寄せる荒波を優雅に乗りこなす海鳥の姿を眼下に見つけることができた。双眼鏡を覗くと派手で歌舞伎の隈取を彷彿とさせる、特徴的な模様のカモ類のようだ。
スーさんが、あれは「シノリガモ」だと教えてくれる。英名は「ハーレクインダック」といい、まさに「道化師」を意味するハーレクインの名を冠するにふさわしい。厳しい自然環境下で順応して生きる鳥たちの美しさは、道東でこそより強く感受するのかもしれない。
どこまでも広がる荒野。隊列を組んで歩いていると、かの名作ドラゴンクエストⅢのフィールドBGM「冒険の旅」が脳内でリフレインしていることに気づく。幼き日々の妄想力を呼び覚ますこの舞台に心が湧き立ち、思わず独り笑みがこぼれる。そんな時、ふと視線を感じて顔を上げると、眼前に草を食むエゾシカの群れが飛び込んできた。
人間の小集団と正対しても恐れや怯えを感じさせない真っ直ぐに射抜く眼差しは、荘厳さや威厳すら覚えるほど。野鳥と同様に、野生動物の生き抜く様というのは息を呑むほど美しいのだと再認識する瞬間で、なぜか旅の終わりが近いことを意識させる光景だった。
旅の終わりに際して
いつもあれこれ頭で考え過ぎてしまうのが、自分の欠点だといつも感じている。世界の美しさはいつだってウィルダネスの中に存在しているし、優しさに満ちた世界はいつだって人々の営みと共にある。幼い頃に憧れ続けた物語、吹き荒れる嵐や美しい動物たちの世界はすぐ隣に存在しているのに、オフトレイルに一歩踏み出す勇気を“大人である”ことを言い訳に蓋をしているのかもしれない。
スーさんは時に真剣な語り口調で、時に少年のような全開の笑顔で、旅人の心を否応なしに揺さぶってくる。まさにOUTLANDへ誘ってくれる最高の案内人だ。
旅の終わりに見た、苔むした森と木漏れ日が生み出すあの落石の原生林は、写真を見なくてもはっきりと浮かび、その情景が脳裏に焼き付いて離れない。自然の景色に加えて、霧娘の鈴子さんのように地域に根をはった暮らし、そこで生きる野生動物の営みが全て密接に作用して生み出されるものが風土なのかもしれない。はっきりとした答えは出ないけれど、想いを巡らせ続けることが純粋に楽しいと思える根室の旅。狭い部屋を飛び出し、冒険を始める契機の一つになることは間違いない。