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Gastronomy

中標津を支えてきた酪農の本質、地域への愛着心を五感で感じる旅へ

秋の終わり、中標津を自転車で巡る旅に出かけた。ペダルを漕げば、サイロや牛舎、放牧地で牛たちがゆったりと草を食む、道東らしい酪農風景が広がっている。風景の奥にあるのは、酪農によって発展してきた中標津の歴史と、今を支える酪農家たちの思い。この旅では、1956年から続く竹下牧場の二代目である竹下耕介さん、2002年に中標津で新規就農した山本照二さんという2人の酪農家に会いに行く。スタイルの異なる2組の酪農家の思いに触れたなら、きっと酪農の本質が見えてくるはず。案内人は、中標津在住の久保竜太郎さん。穏やかな風景、そして中標津への愛着心を抱く人たちとの出会いが、心の温度を一段階上げてくれた旅の記憶について。

竹下牧場/酪農家の営みに触れる牛舎見学

たとえば都市圏で暮らす人が思い浮かべる「北海道の酪農」の風景は、どんなものだろう。牛たちがゆったりと草を食む風景、日夜牛たちが過ごす素朴な牛舎、広い草地にコロコロと転がる麦稈ロール…。その牧歌的な風景は想像するだけでも良いものだけれど、できるなら直接足を運んで、吹いてくる風ごと体感してみてほしい。その風景を作り出す生産者の思いに触れて、酪農という言葉の解像度を上げてみてほしい。

竹下牧場は、中標津で1956年から続く牧場だ。迎えてくれたのは、2代目牧場主の竹下耕介さん。牛舎では搾乳を終えた後の牛たちがエサを食べたり、のんびりと寛いだり。好奇心旺盛にこちらを見つめる瞳の愛らしさに心を掴まれつつ、竹下さんの話に耳を傾ける。

「この辺り一帯は、年齢で言うとまだ70~80歳の土地なんですよ」。北海道の開拓が本格的に始まったのは明治の頃。現在の中標津周辺に関しても明治初期に区画開放がされるまで、人の手が入っていない荒れた土地だったそうだ。必死の思いで開拓を進めても、厳しい寒さと火山灰地層の痩せた土地ゆえに、なかなか作物が育たたないという苦労もあった。

そんな土地に入植した人々の光になったのが、酪農だった。そして、その発展に貢献した酪農家の一人が、竹下牧場の初代であり、耕介さんの父である竹下日吉さんだ。

日吉さんがこの土地に入植したのは、1956年。そこを起点に考えて、「70~80歳の土地」。最初はわずか数頭の牛を飼う生活から、耕介さんに牧場を継ぐ頃には300頭までに数を増やした。何もない土地に一代で牧場を起こし、地域の産業を支えてきたと考えれば、目まぐるしさすら感じてしまう。

言うならば牛たちは、その土地の人生の伴走者のような存在だ。「酪農一本、牛一本でやってきたまち」という竹下さんの言葉が、北海道ならではの時間軸と共に落とし込まれていく。

24歳の頃、父が築いた牧場を受け継いだ竹下さん。この土地の人らしい開拓精神を糧に、さまざまな挑戦を続けてきた。

牧場見学ツアーの受け入れから、ゲストハウス、一棟貸しのファームヴィラの運営まで。展開する事業の幅は広くなっても、中心にはいつも牛がいる。「牛と人の新しい関係を築きたい」という思いを軸に、着実に歩みを進めているのだ。

先代たちの苦労によって、拓かれ、「酪農のまち」として整えられてきた中標津の大地。社会を取り巻く状況は100年に満たない時間の中で急速に変わり、人口減少や後継者不足などの課題も絶えない。酪農のまちであり続けるには、新たな土壌を耕していく必要があるだろう。

その新たな鍬となり得るのが、「酪農を軸にした町おこし」だ。ツアーの実施や宿の運営を通して、酪農・中標津と外の人との接点を増やしていく。そうすることで、経済は循環し、この土地はまた新たな形で耕されていくはずだ。

「酪農家の仕事とは、牛の命をつなげること」だと、竹下さんは言う。それは牛たちを健康育てるだけでなく、消費者に届けるところまでを差す。雨の日も雪の日も、牛たちは生乳を分けてくれる。「今日はいらないよ」なんていう人の都合は、あたりまえに通用しない。

だからこそ、循環が必要なのだ。川上で酪農を営む生産者、川下でその恵みを受け取る消費者。大切なのは、その流れを絶やさないことだ。

牛舎見学の後、竹下牧場の生乳と地元のゴボウを使ったポタージュをいただいた。優しいおいしさにほっとしながら、竹下さんの言葉を反芻したときに浮かんできたのは、「酪農家だけじゃないな」という気づき。おいしい生乳を分けてくれる牛たちへの感謝、食卓に乳製品を取り入れる意識をいつでも持っていられたら。消費者という立場から、酪農という産業の営みの一端を担うことができる。あたりまえのことかもしれないけれど、今一度そう信じてみたい。

自分の足でペダルを漕ぎ、中標津の風土を体感する

この旅の移動手段が自転車で良かった。「開拓」から始まる時間の流れを捉え目に飛び込んでくる風景や言葉を反芻することで得られる気づきの一つひとつを取りこぼさずに落とし込むために、あまりにも適切な速度だったから。

中標津の牧歌的な風景を印象付けているのが、防風林の存在だ。中標津や近隣市町村で見られる防風林は「根釧台地の格子状防風林」として北海道遺産にも指定されており、この地域特有のものだ。飛行機から見てもグリッドとして認識できるほどの幅と長さが特徴らしい。

開拓の頃、農地や道路と一緒に造られた植林地帯だと聞いて、この土地が原野だった頃を想像してみる。牛も人も道路もない、手つかずの土地。気が遠くなるほどの開墾作業。その当時から今日に至るまで、この防風林が夏の海霧や冬の風雪から農地を守ってきた。どれだけ時が流れても、どれだけ技術が発達しても、結局自然には敵わないという事実を改めて思い知らされた気がした。

山本牧場/酪農のスタイルに思いを馳せる放牧地見学

心地良い疲れを感じ始めたタイミングで、次の目的地・養老牛山本牧場へ到着。迎えてくれたオーナーの山本照二さんの後ろでは、牛たちがゆったりと草を食んでいる。ここは、山本さんが家族と共に完全放牧を実践する牧場。牛たちに与えるのは、牧草のみ。その牧草も農薬や化学肥料を使わずに育てるなど、限りなく自然な状態に近い酪農のスタイルを実現している。

本来、牛は草食動物。彼らに草だけを与えるというのも、放牧というスタイルも、ごく自然なことのように思えるかもしれない。しかし実は、放牧主体で飼育している酪農家は全体の5~10%と少数派。牛舎でのつなぎ飼いやフリーストール(牛が自由に歩き回れる牛舎)での飼育が約90%と多数派で、乾燥させた牧草のほかに穀類などを混ぜた栄養価の高い配合飼料を与えるケースがほとんどだ。

もちろんそれぞれに利点があるし、どんなスタイルを選ぶかは酪農家自身の事情や考えによるものだ。ただここで言いたいのは、「牛たちがゆったりと草を食む」放牧風景は、決してあたりまえのものではないということ。しかも、冬場は-30℃近くまで冷え込む厳しい環境の中で完全放牧というスタイルを実践できるのは、山本さんの並々ならぬ覚悟と信念があったからにほかならない。

生まれは東京都の新宿。文字どおり大都会で育った山本さんだったが、子どもの頃から自然が好きで、大学進学を機に北海道へ。学生時代に北海道各地を旅した中で、一目惚れしたのが開陽台からの景色だった。大学卒業後、東京に戻って働く中でふつふつと湧いてきた「北海道で暮らしたい」、「作り手(生産者)になりたい」という思いを胸に、北海道へ移住。研修を経て、中標津の養老牛に入植する。

放牧というスタイルを選んだきっかけは、研修時代に見た機械的な酪農現場へのアンチテーゼから。「牛も人も無理をしない」やり方で、経済と理想のライフスタイルを実現させていこう。そんな思いで辿り着いたのが、放牧酪農だった。

完全放牧、それから配合飼料ゼロへの切り替え。その過程にあった牛たち、そして山本さん自身の苦労は書き切れないほどだが、放牧地の風景にすべての答があるように思う。「晴れた日には摩周岳が見えるんですよ」という自慢の眺めに、思い思いに過ごす牛たちの姿。山本さんにとっての正解はきっとここにあったのだ、と思えてしまう光景なのだ。

「うちの牛乳は、牛たちが本来持ってるエネルギーや生命力が出ているからか、どこか野性的な味がするんです」。牛たちの食べているものや個性がダイレクトに反映される、放牧牛乳。山本さんが「ワイルドミルク」と表すその味わいは、この土地の風土そのものだ。

牧場内のショップで購入できるソフトクリーム。香り高いミルクの味わいが広がる

開陽台/中標津町民の郷土愛が詰まった場所で、地元の味を堪能

午後の光が傾いてきた頃、中標津のランドマーク・開陽台へ。最後の登り坂がなかなかこたえますが、電動アシストの力を借りて最後のひと頑張り。ちょうど空に虹がかかるベストタイミングにも恵まれ、なんとか登り切ることができた。

開陽台で出会えるのは、斜里岳、武佐岳などの山々や根室海峡が広がるまさに絶景。いつ見てもすばらしい景色であることに変わりはないが、今日ほどその「成り立ち」に思いを馳せる日はない。あの防風林も、あの草地も、すべて「酪農」という一つの軸の上に積み重なってきたものだという背景を知ってしまったから。

さて、身体を動かしてすっかりお腹も空いた頃。UB COFFEEの篠田卓さんがアウトドアランチを用意して待っていてくれた。竹下牧場のチーズや山本牧場の牛乳などを使ったシンプルな料理には、素材の力がしっかりと伝わってくる。

日はさらに傾き、夕方の色へと変わっていく。「中標津に暮らす人にとっても特別な場所。一番大切な人に見せたくなる景色でしょう」という篠田さん。「僕にとっても中標津で一番好きな場所。仕事の転機を迎えたときもここに来ました」と久保さんが続く。

左が案内人の久保さん、右がUB COFFEEの篠田さん

中標津への愛着心あふれる2人の言葉と夕焼けに、心の温度がぽっと上がった気がした。

久保さんがこの旅に込めるもの。

「“モヤモヤ”を大事にできる旅になれば良いなと思うんです」。

夕日がすっかり沈む頃、この旅の作り手である久保さんがそんな話をしてくれた。久保さんが言う“モヤモヤ”とは、「一人ひとりが日常に持ち帰る問い」のようなものであり、簡単に導き出すことができない答のようなものでもある。

たとえば、今日訪れた2つの牧場は規模もスタイルも大きく異なっていた。竹下牧場はこの地域の酪農という意味では比較的オーソドックスな形態に近いし、山本牧場はある種独自性に振り切ったような印象を受ける。ただどちらも形は違えども、「観光」という視点を持ち、それぞれのやり方で自分たちの商品を販売したり、地域の魅力を伝えたり、外に向けた活動に取り組んでいた。牛に対する、地域に対する誇りと愛着心も共通しているように思えた。

久保さん曰く、竹下さんも山本さんも「とがり切ったところで」営みを続ける酪農家。ならばその振り幅の中で、何を感じ、何を持ち帰るのか。久保さんの言葉を借りれば、それこそが“モヤモヤ”。正解も判断基準もない、その振り幅の中でどれだけ自分自身の考えの幅を広げていけるか。その問いはきっと、旅の後も長く続くだろう。

あるいは、シンプルに土地への愛着心を持ち帰ることができたなら、それもひとつの答だと思う。この旅で出会ったすべての人の言葉に、「酪農のまち」への誇りと愛着心があった。中標津での旅の記憶を手繰り寄せる度に、あの心の温度が戻ってくる。

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Kanna Tatsuta

花のまち、東神楽町生まれ。北海道の雑誌「northern style スロウ」・Webメディア「スロウ日和」の編集者兼ライター。編集部のインターネットラジオ「カタカタラジオ」を不定期配信中。元自然ガイドで、森を歩くことが大好き。

  1. 背景にあるのは“ロジカルな熱量”。地域で暮らし、現場のリアルを知るからこその、旅の形を

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