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グッドローカルズと巡る、弟子屈町 川湯温泉の「現在地」

「ガイドツアー」と聞いて、どんな内容を期待するだろうか?

その地域をよく知るガイドしか知らない観光スポットを訪ねたり、その地域ならではのアクティビティを体験させてもらったり、特別な体験をコーディネートしてもらうイメージを思い浮かべるのではないだろうか。「Stay DOTO! 自然の郷ツアー in弟子屈」は、観光スポットやアクティビティを楽しむだけではなく、そこに住み、魅力や価値を伝え続ける人「グッドローカルズ」との出会いが組み込まれている。

「グッドローカルズ」とは、その地域ならではの自然やコンテンツの魅力を伝え、支える人々。地域の過去、現在を知り、そして未来を作っていく人たちだ。

 

今回のツアーの舞台は、弟子屈町・川湯温泉。北海道の東側・道東に位置する弟子屈町は阿寒摩周国立公園を有し、川湯温泉街はその中にある人気の観光スポットとなっている。現在は、2017年に始まった国立公園満喫プロジェクトから端を発する市街地の再開発と、町民や移住者による取り組みによって、変化が生まれている。

このツアーのテーマは「今後大きく変化するからこそ知ってもらいたい、川湯温泉の今と昔」。グッドローカルズと一緒に川湯温泉の「現在地」を訪ね歩く、この1日限りのツアーを振り返っていこう。

川湯温泉の成り立ちを自分の言葉で語る/中嶋康雄さん

10時30分、静かに雪の降る川湯ビジターセンターに集合したのは、12名の参加者。地域外からの参加者だけではなく、よりこの地域を知りたいという思いで参加した地元出身者の姿もあった。

今日この1日をアテンドしてくれるのは、ローカルアンバサダー・高橋志学さんだ。

高橋さんは2021年4月に弟子屈町地域おこし協力隊に着任し、カメラマンとして弟子屈町公式チャンネルの運営を行っている。合同会社BASE CAMP TESHIKAGAの役員として弟子屈町の景観を活かしたロケーションフォトサービス「GIFT.」を立ち上げ、ウエディングフォトの撮影などの多様な活動を展開しているカメラマン。このツアーのメインテーマでもある川湯温泉の「現在地」をよく知る一人でもあり、グッドローカルズとの出会いをコーディネートしてくれた立役者だ。

「今日は川湯温泉街を歩いていただいて、ここがどんなところなのかを肌で感じてもらいたいなと思っています。いま弟子屈町は変化しているタイミング。現在と昔を知る人々の出会いから、この地域の未来をイメージしてもらえたらと思っています」。そんな高橋さんの挨拶を合図に、いよいよツアーが始まる。

川湯温泉街には、昔ながらのお土産屋さんや立派な旅館などが立ち並ぶ一方、更地になっている場所もいくつか見受けられる。川湯温泉街は交通の便から自家用車で訪ねる観光客が多いが、歩かないと気づけない発見も多そうだ。

まず最初に到着したのは、老舗旅館の一つである川湯観光ホテル。代表取締役である中嶋康雄さんが、この日初めて出会うグッドローカルズだ。

弟子屈町川湯温泉生まれである生粋の地元っ子である中嶋さんは、高校を卒業するまで弟子屈町で暮らす。その後専門学校に通うため3年間東京での生活を送り、23歳で再び弟子屈町へ。その後、32歳で川湯観光ホテルの社長を継ぐ。

中嶋さんは、自らが制作した紙芝居を使って観光案内を行うこともある。さっそくその紙芝居を拝見……と、その前に、ホテル近くの川に案内される一行。降り立ってみると、川からはモクモクと湯気が立ち、強い硫黄の匂いが漂っている。川を流れるのは温泉だ。

ここは「岩盤テラス」と呼ばれる、硫黄山から続く岩盤層が目で見えるスポット。昔から町民の方々がこの温泉川を大切にし、清掃活動などを行っているそうだ。

約3万年前から火山活動が繰り返し起きていた弟子屈町一帯。活発な火山活動の結果、屈斜路カルデラや摩周カルデラなどの特徴的な地形の形成、温泉が染みない丈夫な岩盤の形成など、現在の川湯温泉における観光資源につながっている。

そんな壮大なヒストリーを、紙芝居のみならず絵本でも伝えている中嶋さん。この取り組みは海外からの観光客にも人気を博しているのだそう。中嶋さんの紙芝居を聞きながら川の流れに沿って歩いていくと、このガイドツアーのために道を除雪してくださっている方と出会った。
川湯温泉街の人々が、この場所を訪れる観光客を大切にしていることを強く実感する。

「この阿寒摩周国立公園は、様々な変化を経ていまの形になりました。阿寒国立公園から、名称が阿寒摩周国立公園へ。廃墟になってしまっていた建物も、5棟解体されています。変化し続けている場所なんです。その最中で、私は引き続き川湯温泉の再生に頑張っていこうと思っています。いま、川湯温泉は大転換期です。皆様には引き続き川湯温泉の変化をチェックしていただきたいと思っています」

川湯温泉の最前線で戦い続ける中嶋さんの語りには当事者としての重みが感じられる。参加者と川湯温泉という地域との距離も近づいたように感じられた。

すずめ食堂&バル

ランチの時間になり、「すずめ食堂&バル」へ。川湯温泉街の市街地にあり、「素朴でカラダに優しいごはん」をコンセプトに、無国籍料理を提供する人気店だ。お昼はランチ、夜はバルとして地酒も楽しめる。

川湯温泉街を歩き、お腹がぺこぺこの参加者たち。各自頼んだメニューに舌鼓を打ちながら、交流を深めていく。

豚のバラ肉と半熟卵の氷砂糖煮丼を注文。柔らかく煮てある豚肉がご飯を進めさせてくれる一品。参加者も「とろける!」と大絶賛。

熊本県の阿蘇からの参加者からは、同じカルデラを有する地域である阿蘇と弟子屈とを比較するきっかけになったとの感想が。また、高橋さんが弟子屈町の地域おこし協力隊になった経緯への質問も飛び出し、ランチタイムは和気藹々とした雰囲気に包まれていた。

こういった参加者同士の交流もツアーの醍醐味の一つ。グッドローカルズの話を振り返りながら、それぞれの感想に耳を傾ける。

店内では、中嶋さん制作の絵本を発見

道東近代史の重要拠点「アトサヌプリ」を歩く/萩原寛陽さん

腹ごしらえをしたところで、川湯ビジターセンターへ戻る。続いて出会ったグッドローカルズ、萩原寛陽(ひろのぶ)さん。萩原さんは、北海道マスターガイド(自然)、てしかがこえまち推進協議会認定ガイド。フリーランスのアウトドアガイドとして、摩周・屈斜路エリアの自然ガイドや、アトサヌプリ(硫黄山)トレッキングツアーを行っている一人だ。また、てしかが自然学校の代表としても、地域の子供向けに木育を中心とした自然体験活動の企画運営を手掛けるなど、この地域の自然と教育に幅広く携わっている。

まずは、川湯温泉の「温泉工場」たるところのアトサヌプリと人々との歴史を中心に教えていただいた。

アトサヌプリの開発は、弟子屈町が始まったきっかけとも言われている。明治9年に釧路の網元である佐野孫右衛門により硫黄試掘が始まり、翌明治10年から本格的な採掘がはじまった。その後度々経営者が変わりながらも昭和38年に閉山され、現代では阿寒摩周国立公園の観光地の一つになっている。また、川湯温泉街の人々にとっては川湯温泉の湯の源という重要な役目も持つ。

そんなアトサヌプリに向かって、萩原さんと歩いていくことに。川湯ビジターセンターからアトサヌプリまでは、歩いて30分ほど。ここで、萩原さんからは「植生の変化に注目!」というミッションが出される。

どういうことか道中観察していると、たしかに周囲の森林が変化していっているのがわかる。徐々に視界が開けていくように感じるのは、木々が低くなっていくからだ。硫黄の影響で植生が変化しており、低木層地帯になっていくのだそう。標高150m前後にも関わらず、環境が厳しい高い山に自生する高山植物がたくさん見られることも特徴の一つ。数十分歩いただけで、まるで異世界に来たかのような感覚を覚える。

アトサヌプリの麓にある「硫黄山 MOKMOKベース」に辿り着いたところで、萩原さんからは次のミッション、「硫黄の結晶を探せ!」というお題が。

「硫黄の結晶!?」「見つけられるかなあ」と不安そうな参加者たちに、萩原さんは「あの一番蒸気が吹き出しているところまで行ってみましょうか」と声をかける。

大きくてごつごつした岩が大量にあるため、足元を確認しながら目指していく。遠くから見ても迫力のある蒸気だが、間近だと熱や音も感じられ、より臨場感を感じる。温度を測ってみると、なんと約102度に到達している。感動と興奮、少しの恐怖を感じるほどだ。足元を見下すと、透明な温泉が湧いている。触れてみると、微かに硫黄の香り。これが温泉として市街地に流れ、私たちの身体と心を癒す温泉となるのだ。

注目ポイントである「硫黄の結晶」も無事に発見。鮮やかな黄色の結晶が、岩の表面に凝固している。水蒸気の噴出口も見つけ、先ほど市街地で嗅いだ温泉水よりもさらに強い硫黄の匂いがする。

迫力ある光景に参加者からは「世紀末みたいだ……」と感動の声が。

 アトサヌプリに圧倒されたところで、続いて案内されたのは「硫黄山 MOKMOKベース」の裏手にある林。「ここには硫黄を採掘していた頃に使用していた鉄道の跡が残っているんですよ。ちょっと行ってみましょうか」と萩原さんが先導してくれる。

鉄道跡のため、一直線に木のない道が続いている。たしかにここに、先人たちの営みがあったわけだ。
一列になって歩きながら、萩原さんおすすめのアトサヌプリの観察スポットや動物たちの足跡が残る地点を教えてもらう。

やがて、「安田鉱山鉄道敷跡」と書かれた看板に辿り着く。その横には「北海道2番目」の文字が。アトサヌプリが、北海道の開拓においても重要な鉱山だったことがよくわかる。

「硫黄山 MOKMOKベース」に戻り、温泉卵を食べながら振り返りを行う。参加者からは「改めて硫黄がもたらす恩恵を感じることができた」「アトサヌプリと弟子屈町の強いつながりがよくわかった」などの声があがった。

温泉卵の殻をうまく剥く方法にも挑戦。ガムテープでぐるぐる巻きにした後、タマゴの表面をムラなく叩くことがコツ

「MOKMOKシアター」から雄大なアトサヌプリを望む

 

道東、ひいては北海道開拓の力強い営みの足跡を巡った萩原さんのガイドツアー。過去と現在の川湯温泉のつながりに思いを馳せる貴重な時間となった。

見守ってきた川湯温泉の45年間/鈴木由美子さん

アトサヌプリを離れ、最後に向かうのは「菓子司 風月堂」。1973年に創業して以来、地域住民や観光客に愛され続けている。店頭には川湯の自然をモチーフにした手作りのお菓子がずらりと並ぶ。

ここでは、風月堂で接客を担当する鈴木由美子さんが参加者を待っていてくれた。

佐呂間町出身で、ご主人の鈴木信一さんとの結婚を機に川湯温泉へ。以来45年間、この「菓子堂 風月堂」から川湯温泉街を見守っている。由美子さんは、川湯温泉に来てからの45年間を振り返りながら話しはじめる。

「昔の川湯温泉は、観光業がとても盛り上がっていました。亡くなった主人の父も、お菓子を作りながら、夏場は木彫り職人としてクマやフクロウを彫って売っていました。それがすぐに売れてしまうくらい盛り上がっていたんです。当時このお店も夜10時頃まで開けていて、夕方になると観光客が外をうろうろして、開けてほしいって手を振るんです。でも、だんだん旅行の形が変わり、団体旅行が減っていきました。私が川湯温泉に来て4、5年経つころにはもう下り坂に。特に知床が世界遺産になったときには、それまで川湯に泊まってくれてたお客さんが知床に泊まるようになりました。それでホテルは経営が厳しくなって、次々に閉まってしまったんです」

時代とともに移り変わる川湯温泉の景色。由美子さんは、現在とこれからの川湯温泉をどんなふうに見つめているのだろうか。

「いろいろなものがなくなったけれど、温泉だけはなくならないんです。一度どん底を見たからこそ、これからは再生していくばかりだと思っています。いまはアウトドアガイドさんたちが一生懸命に弟子屈町の自然の魅力を伝えてくれてるし、宿泊業もこれからは個人のお客さんに楽しんでもらえる場所になっていくんじゃないかなって思っています。若い人たちが頑張ってくれるので、私たちは応援部隊だと思っています」

高橋さんに目線を送りながら、そう話す由美子さん。高橋さんも、「いつも僕たちの活動を応援し、やさしく見守ってくれているんです。本当にありがたいなと思っています」と笑顔を見せる。

「あと一つ、印象的なお話があって。ある時、健康のために始めた散歩ついでに足湯のゴミ拾いをすることにしたんです。いつものようにゴミを拾っていたら、観光客の方が足湯に落ち葉がたくさん沈んでるのを見て、『なんなのこの足湯!素晴らしいなんてもんじゃない!』って、すごく怒られてしまって。それを見ていた常連客の方が、『この人は清掃のお仕事をする人じゃなくて、ボランティアでゴミ拾いをしてくれている人なんですよ』ってかばってくれたんです。そうしたらその方も『あら、そうなの?じゃあ私も一緒に拾うから』と一緒にゴミ拾いをしてくれました。一緒に足湯をきれいにした後に、その方からお叱りを受けたんです。『ガイドさんが一生懸命川湯温泉を盛り上げようとしてくれてるのだから、住んでる人がちゃんとしなきゃダメなんだ。誰がここの清掃の役割を担ってるのか、あなたが調べて、足湯がいつも綺麗であるように、ちゃんと解決していきなさい』と言われました。それで、私は足湯の管理をしている人や管理方法を調べて働きかけて……そして、現在はみなさんに綺麗な足湯に入ってもらえているという経緯があるんです」

豊かな自然環境の恩恵を受けながら生活するということ、それに対してどう行動していくかを考えさせられるエピソードだ。

「お客さんに気持ちよく過ごしてもらえるように、ここで商売してるからには私ができることはしていかなきゃと思いました。いまもゴミ拾いを続けています。一人ひとり、できることや得意なことは違うかもしれない。それぞれが持っているものを生かしながら、自分が住んでいる地域や周りのことに目を向けて、みんなで仲良く穏やかに暮らしていくことに幸せを感じるんです。それが人生なんじゃないかなって思います」

由美子さんのお話からは、自然が与えてくれる恩恵にあぐらをかくのではく、自分のできることでその価値を守っていくことの責任感の強さを感じた。

川湯温泉街にある足湯。綺麗に清掃されており、多くの観光客が楽しんでいた

変わりゆく川湯温泉の昔と今

最後に、高橋さんが再開発が進む川湯温泉市街地の様子がわかる場所へ案内してくれた。

「ここには、野外の温浴施設ができるかもしれないんです。今日見てもらった温泉川の中に、水着を着て直接入ることができるというもの。いま、本当にその施設をつくるべきなのかが議論になっています。現在その議論のためのワークショップが開催されていて、更地の活用方法や町の景観をどう保っていくのかというテーマで町役場やコンサルタント、町民同士が話し合っています。ただ、弟子屈町民6400人のなかで、ワークショップに来ている方は100人もいません。僕自身にも言えるのですが、町の問題は町民自身が自分事として捉えていかないといけないと思っていて。今後、全国各地で同じような再開発が行われていく中で、今度は自分の地域が対象になるかもしれません。参加者のみなさんにも、自分の住む地域をどうしていきたいのかを考えるきっかけにしてもらえたらいいなと思っています」

自分たちの暮らしや生活の変化は、本来は他人事ではいられないはずだ。高橋さんは移住者ではあるが、目線は町民と同じく川湯温泉街の未来を見つめている。ツアー終了後、北見市からの参加者に感想を聞く。

「川湯温泉には何回か来たことがありましたが、歴史やまちづくりのことは全然知りませんでした。今日のツアーで出会った人たちの話を聞いて、小さいことからでもいま住む町や地元でできることがあるんじゃないかなって考えていました」

参加者たちは各々、ツアーで出会ったグッドローカルズの言葉を受け止めながら帰路に着いた。

筆者自身、川湯温泉や硫黄山には何度も足を運んだことはあった。だが、そこで暮らす人や現実的な課題に出会うことは少なかったように思う。川湯温泉だけではなくさまざまな地域に足を運んで思うのは、その地域での暮らしや地域住民の思いを知ることは容易ではないということだ。れぞれが少なからず意見や思いを持って暮らしていたとしても、それを受け止める場所や機会がなければ、外に発信することは難しい。

「Stay DOTO! 自然の郷ツアー in弟子屈」では、地域の人やコンテンツの魅力、または課題を可視化し、弟子屈町を内側から見る目線が共有されていた。自分が経験していない事象を理解するのは難しいことだ。だが、その難しさを乗り越える一歩目は「エンパシー(共感)」を自分の心に生み出すこと。このツアーでの出会いは、そんなことを考えさせられる体験だったように思う。

Photo by  Kazuma Saki, Yukinori Takahashi

  • 記事を書いたライター
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Rika Sakai

2001年、幌延町出身。小学6 年生のときに標茶町へ。標茶高校卒業後、北海道教育大学釧路校へ進学。地域環境教育実践分野、地域文化研究室で地域を作る教育について学ぶ。2023年、1年休学してコラボ・スクール双葉みらいラボに教育インターンとして参加。2025年3月に同大学を卒業。

  1. グッドローカルズと巡る、弟子屈町 川湯温泉の「現在地」

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