北極圏や南極大陸の極域、さらには伝統文化の世界まで旅をしながら撮影を行う写真家・福本 玲央が知床ねむろを訪れた記録。
流氷が押し寄せる冬、野生の匂いを感じられる夏。それぞれの季節に異なる風景と向き合いながら、彼はどんな瞬間を捉え、何を感じたのか。自然の美しさや人々の営み。通り過ぎるだけでは見落としてしまい、住んでいるとつい忘れてしまうこの土地の”豊かさ”。
福本氏が実際に記録したノートを覗きながら、知床ねむろをともに旅する。
Que sera , sera (2024 winter)
「なぜ旅をするんですか?」「どんな思いで旅をしていますか?」
旅をしていると繰り返し聞かれる。 「好奇心がそうさせるから」「見たいから行きたいだけ」「かっこいいか ら」 これが素直な気持ちだけど、もっと深く向き合ったら見えてくるかもしれな いし、見えてこないかもしれない。旅をしながら旅について考えてみようと思った。
行き先は北海道、道東の知床ねむろだ。

Que sera,sera
最初の目的地へ車を走らせる。街を抜け、だれともすれ違わないような道を駆け抜けながら、そこに点在する暮らしを想像し
た。生活とはなにか。生きていくとはどういうことか。中標津でもっとも大きなショッピングセンターに到着すると、僕はど
こか安心した。都市で暮らす癖のせいだろう。
生活感のある標津漁港で流氷と出合った。日本の小さな町で身近に存在する流氷。それは北極海や南極の海で遭遇する高揚感とはまるで違う、不思議な感覚。美しい自然が日常に溶け込み、それを享受できる“日本”が誇らしい。
野付半島のビジターセンターでは、この細長い地形の成り立ちに興味を持った。半島を形成する海流、シベリアから越冬する渡り鳥、いずれ朽ちてしまうトドマツ。
もっと勉強したい、世界のすべては繋がっているのだから。
遠くには美しい国後島が見えていた。

36歳、人生の折り返しを迎えたことに気づいた

この風景はいつか消滅するだろう
標津で「雨傘」という喫茶店に立ち寄った。静かな町にこんな店があるのかと思った。マスターとの会話は、雑誌の映画特集に躍りそうな名台詞にあふれ、慌ててメモを取る。
「自分の好きなものだけ、に囲まれる」
羅臼町でも、流氷クルーズ船で海に出た後、一軒の喫茶店に吸い込まれた。店名は「とおりゃんせ」。マスターは「氣はココロ」と覚えやすい、キワコさん。小さな港町の、お世辞にも流行りとはいいがたい空間に、世界中の旅人が引き寄せられてきたという。彼女はここで長年、地元客と旅人を見守ってきた。
「書くことを忘れちゃいかん」「旅をしなさい」「自分の好きなところは自分で探す」「ケセラセラ、必ず朝は来る」「悩むこと、苦しむこと」「自分のチカラで自分の道は切り拓いていかなければならない」「ぼーっと生きていたら悩まない」「迷ったら勘でいく、そのために勘を養いなさい」「ぶつかって、悩んで、闘って」
キワコさんに教わり、日の出を見に行った。羅臼では朝日をみるべきだ、と。
国後島から昇る朝日は美しい。朝食を目当てに「とおりゃんせ」を再訪した。
羅臼を後にし、知床半島の東から西へとウトロを目指す。予定していたエリアをはみ出すが、夕日をどうしても見たくなったのだ。道中、流氷を一望できる喫茶店に出合った。世界でも稀有な眺望に加え、店内も映画のような空間だった。流氷を傍目にコーヒーを飲むことができるとは、なんて贅沢なことか。
手元のメモに走り書きした。
「いつ死ぬかわからない。誰かが、または自分自身が死んでしまう前にもう一度、家族で旅をしたい」
根室まで引き返し、根室駅前の喫茶店「サテンドール」へ。この土地に暮らす芸術家の絵が飾ってあった。マスター曰く、続けていると絵が寄ってくるらしい。僕の人生もそうかもしれない。
根室は独特な雰囲気だ。北極圏のような、チリの南部のプンタアレーナスのような、極域に近い町の空気感がある。同じ宿にひとりの外国人が泊まっていた。彼は日中、ローカルバスで到着し、地図を頼りに漁港を歩いていた。良い旅だ。僕が昔、夢中になってしていた、あの旅のスタイルだ。旅をつづけることは人生そのものなのかもしれない。
夜は繁華街へ繰り出した。バーで働く地元のお姉さまと会話する。みんな、この町を離れ、都市で青春を過ごしたものの、いまはまた生まれ育った土地で暮らしている。
「空気がおいしい、この町を離れて知った」「居心地が良い、気がついたらこの町に戻っていた」
旅の最後の宿も決めていなかった。中標津まで戻り、スープカレー店「木多郎」に入る。紳士で豪快なマスターまさしさんと、笑顔の素敵な奥さまのジュンコさんがいた。店内には、たくさんのフィルムカメラや美しい自然写真が並ぶ。『ナショナル ジオグラフィック』のアーカイブも連なる。僕が思わず「この写真はマスターが撮られたのですか?」と聞いたものだから、閉店時刻を大幅にすぎるまで会話が盛り上がった。昭和14年、中標津に生まれこの町で暮らしていること。写真を通じて出会ったアイヌ民族のこと。カレー屋という仕事を選んだ理由。マスターの人生はスパイスに溢れていた。
いつか僕が撮った写真が表紙となったら、またここに戻ってきたい。アメリカのナショナル ジオグラフィック社へメールを返信しながら、眠りにつく。明日には飛行機で東京へ帰る。町の中心から空港までは、車で10分もかからない。
“旅をする”という行為に向き合う旅だった。
訪れたのは中標津、標津、羅臼、別海、根室。朝日を眺め、海岸線や牧場道をドライブし、喫茶店でコーヒーを飲み、レストランで食事を楽しみ、夕日を見て、一日を終える。これらは特別なことではないかもしれない。でも、普段の生活で見落としてしまいがちな当たり前を、体感することができたように思う。
僕の好奇心はなにに引き寄せられるのか。それは初めて訪れる土地であり、知らない世界であり、そこに住む人々であり、美しい自然だ。好奇心に導かれれば、北極圏や南極大陸の極域も、原生自然環境も、都会も、路地裏も、隣人の部屋も、僕の旅の目的地となる。そして、社会の一員としてなにかできることがあるとしたら、写真によって経験を伝えたい。世界にはまだまだ美しい自然がたくさんあること。一人ひとりが人生の主人公であること。映画のようにすばらしい世界が身近にあること。それらを写真によって記録し、次の世代につなげていきたい。
結局、僕は好奇心に導かれるまま旅をしている。知床ねむろが教えてくれたのは、そんな旅の原点だった。